家具産地と言えばどこ? 日本の六大家具産地まとめ

木製家具関連

国内には「家具産地」と呼ばれる地域がいくつかある。
そして調べ直してみると、いま現在の肌感としては、だいたい次の6つ(とその周辺)が、いわゆる六大家具産地と言ってよさそうだ。
先に目次を置いておく。近道は用意した。

ちなみに、日本の木製家具業界はずっと元気いっぱい、とは言いにくい。
ピーク時に比べてメーカー数は減り続け、
町の看板だった工場が、気づけば更地になっていたりもする。

それでも残っているところがある。
残っているというのは、たいてい「しぶとい」か「強い」か、あるいはその両方だ。
つまり、いま産地を見て回るのは、本当に面白いメーカーに出会う確率が高い時代でもある。

というわけで、順番に見ていこう。
地名を眺めるだけでも、なぜか旅に出た気分になる。出ないけど。

北海道旭川市

旭川家具の成り立ち

旭川といえば雪。冬は雪。たぶん夏も心のどこかに雪。
昔は「自然乾燥がしにくいから木工には不利」とも言われたらしい。
なるほど、たしかに乾かないのはつらい。

ところが1899年、札幌から陸軍の移駐が始まり、旭川の本格的な町づくりが進むと、国内各地から職人が集まってくる。
人が集まるところには、技術も集まる。技術が集まるところには、仕事も集まる。世の中はだいたいそういうふうにできている。

1913年、北海道の農業が凶作に襲われたことをきっかけに、当時の旭川区は木工伝習所を開設して木工業の発展を促す。
冬の農業の代わりに、冬でもできる仕事が必要だった。つまり、暮らしが産業を押したわけだ。

(余談だが、人工乾燥装置は1909年頃に日本へ初輸入され、民間へ普及し始めるのは1921年頃からと言われる。乾燥面で不利でも産地が育ったのは、それだけ「必要性」が強かったのだろう。)

旭川の代表的木製家具メーカー

ざっくり言えば、寒冷地の暮らしに耐える堅実さと、椅子を中心とした現代的なデザイン力が共存している産地、という印象がある。

静岡県中部

静岡家具の成り立ち

静岡の家具の始まりは、わりとドラマチックだ。
徳川家光の時代、静岡浅間神社の大造営のために全国から職人が集められ、建築とともに家具づくりも始まったと言われる。

当初は気候が漆工に適していたこともあり、多くの職人が定住し、漆器づくりが盛んになる。
土地の気候が、仕事の方向を決める。これもまた、よくある話だ。

やがて明治に入ると、漆器づくりで培った技術が鏡台づくりに活かされ、西洋鏡台、茶箪笥へと展開していく。
大正期からは問屋を中心に生産分業化が進み、木地屋(きじや)・漆師屋(ぬしや)・蒔絵師(まきえし)などに分かれ、昭和初期には大型機械の登場で工場生産の効率化も進む。

さらに1947年(昭和22年)、進駐軍用家具類の発注を受けたことで、静岡の家具産業は勢いを増していく。
歴史の大波は、ときに町の仕事を増やす。
理由によっては、複雑な気持ちにもなるが。

静岡の代表的木製家具メーカー

木地と塗りの文化を背景に、箱物や鏡台に代表される“きちんと整った家具”の系譜が色濃い産地、といった雰囲気だ。

岐阜県高山市

飛騨家具の成り立ち

飛騨には昔から「飛騨の匠」という呼び名がある。
資料上の記述は西暦718年(養老2年)に遡るともされ、都の造営のために匠たちが派遣された時代が長く続いた。
つまり、技術の土地勘が古い。

ただし、飛騨で“家具づくり”が本格化するのは1920年(大正9年)頃。
大阪で西洋の曲げ木技術を学んだ2人の旅人が飛騨に来て、人々の心を動かしたという話が残っている。

豊富な森林資源(ブナなど)と、匠の文化と、時代背景。
いろいろが重なって、有志が出資し合い、家具メーカーを創業する。
そのメーカーが、いまも飛騨を代表する飛騨産業(株)につながっていく。
歴史として、かなり強い。

その後も、柏木工、イバタインテリア、日進木工などの代表的メーカーが生まれ、多くのメーカーが集まる。
木工家にとっては、いわば「憧れが固まった場所」みたいになっている。

飛騨の代表的木製家具メーカー

曲木や椅子づくりの歴史が厚く、手仕事の気配と工業的精度がうまく噛み合った“椅子の強い土地”という印象が強い。

徳島県徳島市

徳島家具の成り立ち

徳島の木工は、資料上では室町期(1400年代半ば)まで遡るとも言われる。
もともと林産物に恵まれ、木材や木材加工品が扱われていた地域だ。

1585年(天正13年)、蜂須賀家政が築城の際に福島に水軍基地を置き、200人ほどの船大工を住まわせたという話がある。
船大工の技術は長く受け継がれたが、明治の廃藩置県で仕事を失い、日常雑貨づくりへと転じていく。

そこから箪笥、針箱、桐下駄、鏡台、仏壇、農機具…と、仕事が分岐しながら広がり、船大工の技術が木工・家具へ引き継がれていった。
そして大正期には唐木仏壇の生産も盛んになり、現在では全国有数の規模とも言われる。

徳島家具の代表的メーカー

船大工の流れを含む木工の裾野が広く、実用品としての強さがにじむ堅実な家具づくりが続いてきた土地、と言えそうだ。

広島県府中市

府中家具の成り立ち

府中家具の始まりは衣装箪笥から、という話がよく出る。
江戸時代、寛文年間(1661~1673年)に大坂で箪笥づくりが始まり、その技術を覚えた内山円三が帰郷して箪笥を作り始めた、とされる。

当時、箪笥は高価で、庶民に普及しているものではない。
だからこそ目立ったし、影響も大きかった。指物師が技術を学び、少しずつ府中に広がっていったのだろう。

ただし、いまのように家具づくりが盛んになるのは明治以降。
それでも府中には条件が揃っていた。
中国山地の木材が芦田川で流送され、石州街道も近く、物流の利便性が高かったこと。
そして瀬戸内の温暖な気候が自然乾燥に向いていたこと。
乾燥が強い土地は、木工が強い。

備後の桐

近年は減っていると言われるが、岩手の南部桐、福島の会津桐に次いで、岡山から広島東部にかけては備後桐が代表的な桐の産地として知られる。

府中の代表的家具メーカー
  • マルケイ木工(株)
  • 村上木工(株)
  • 土井木工(株)
  • 松岡家具製造(株)
  • その他多数⇒「府中 家具 メーカー

収納家具、とりわけ箪笥の系譜が太く、気候にも支えられた真面目な箱物づくりの土地、という空気がある。

福岡県大川市

大川家具の成り立ち

大川の家具の話は、とにかく「町が家具でできている」感じが強い。
古文書に船大工が指物を作らせた記録がある、という話もあるが、産地として本格的に発展し全国的に認知されるのは1877年(明治10年)頃以降とされる。

木材確保に恵まれた環境に加え、「榎津指物」といった下地があったことも大きい。
1889年(明治22年)の町村合併で大川町が誕生した時点で、木工関係業者が町全体の1/4ほどあったという話もあり、数字だけで景色が浮かぶ。

大川独特の衣装箪笥は、大型で、材は杉・桐・欅、仕上げは素木・透漆・黒塗など。
金具は鉄・銅・真鍮などを使い、細かな透彫りを施す。
この“金具の本気”が、大川らしさのひとつでもある。

そして現代、大川は家具の生産高が全国有数(場合によっては全国一位と言われることもある)規模にまでなる。
その背景には、大正期の需要増大に合わせた機械導入や、博覧会・品評会への出品による販路拡大など、地味だが効く努力が積み重なっている。

大川の代表的家具メーカー

生産規模と業者数の厚みからくる“家具の街”としての総合力があり、実に幅広い選択肢が生まれる産地、という印象が残る。

―― 以上が、いま「六大家具産地」として挙げやすい地域だ。
それぞれ、強みの作られ方が違う。
木材の流通、気候、戦争や災害、伝習所、旅人、問屋、機械化。
あたりまえだが家具の歴史は、だいたい人間の都合と歴史の都合で育ってきたことをあらためて理解できたと思う。

タイトルとURLをコピーしました