いつ頃からマイナスからプラスねじに変わったのか?

木工に欠かせないもののひとつに「ねじ」があります。

現在では国内で使用されている工業製品の約9割はねじの頭が十字のいわゆる「プラスねじ」ですが、このプラスねじ。実はそれほど歴史が長くないことをご存じでしょうか?

今回はねじの歴史について確認してみたいと思います。

ねじの発祥

ねじの発祥起源ははっきりと分かっていないようですが、回転運動と直線運動を変換する、と言う点でねじの構造と同じスクリューポンプは別名「アルキメディアン・スクリュー」とも言われ、アルキメディス(紀元前287~212年)の発明とされています。
そうとう古くからその機械構造的な面では開発されていたということですね。

しかし今あらゆるところで普通に使われている締結用のねじですが、これはアルキメデスの時代からかなりの時代を経るまでつくられることはありませんでした。
発明者もハッキリしていません。
確認できるところではレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)がつくった装置に使われていることから、普及し始めたのはこの頃、15世紀後半から16世紀中頃といえそうです。
この頃にはフランスやイギリスで改良を重ねられながら腕時計から銃、甲冑、自動車、機関車とその需要を広く伸ばすこととなります。

日本ではなかなか作れなかった!?

日本には1543年に種子島にポルトガル人によって火縄銃とともにねじは伝来していますが、その後の長い江戸時代の生活工芸品にはねじが使用されていた形跡は無いようです。
それだけねじをつくるということは高度な技術が必要で、そのような機械技術の点で西洋に遅れをとっていた日本の技術では締結用のねじを独自につくることができなかったんですね。

日本の建築では引き戸が主流ですが、これも蝶番に不可欠なねじが作れなかったために、開き戸の普及も遅くなり、結果的に現在、和文化といえば引き戸、となっている理由のひとつかもしれません。

ようやく日本でねじが工業生産されるようになったのは1890年(明治23年)頃のようですから、逆によくそれまでねじを使わずに、いろいろな生活道具などの丁度品がつくられていたなあ、と興味深いものがあります。
もしかすると日本の指物技術が卓越されたのは、皮肉にもねじがつくれなかったが故の底力が働いたのかも知れませんね。

マイナスねじのデメリット

マイナスねじ

マイナスねじ

ところで、今では当たり前となっているプラスねじが開発されるまで、日本に限らず海外でもマイナスねじしか無かったわけです。

マイナスねじは頭に一文字の溝を削り出すだけで作れるのが利点でしたが、締める時には部材に直角にしっかり押しつけながらドライバーを回す必要があるため、圧縮空気を使った工具(エアードライバー)が使えず、ひとつひとつ手作業で行う必要があります。

今でも欧米のアンティークやヴィンテージなどの古い家具ではマイナスの木ネジを目にすることもできますが、よく考えてみるとそう遠くない時代でも、ねじの締め付け作業って結構重労働、というか地味に手が疲れたことでしょう。
今では電動ドライバーが当たり前になっているので、そういった昔の苦労はつい見過ごされがちですが、たくさんのねじを使う場合、本当に想像しただけで嫌になってしまいそうです。

プラスねじの誕生

きっと当時の多くの作業者はマイナスねじの締め付けにストレスを感じていたと思いますが、そんな中1907年にはカナダ人のピーター・L・ロバートソンが四角い凹みをもつネジの特許を取得し事業化しました。
これは滑ること無く片手で締め付けられるねじ、ということでフォードの自動車製造に採用もされましたが、その後の第一次大戦やロシア革命などの影響も受け会社は解散してしまいます。

ごくまれですが古い家具などにこの四角穴のねじが使われていることがありますが、ねじの産業において短い期間にせよ、これが主流だった時期もあるのかもしれません。

プラスねじの前にこの四角穴のスクエアねじが開発されていた事実があったのです。

時は経ち1935年頃のアメリカ、オレゴン州ポートランドの実業家ヘンリー・F・フィリップスは発明家ジヨン・P・トンプソンからソケットつきねじの特許を譲り受けます。

フィリップスが譲り受けた特許の特徴はすでに十字形の溝のものでしたが彼はそれを独自のデザインに改良しました。
そしてその特許の使用権をアメリカン・スクリユー社に貸与し、アメリカン・スクリュー社は、ゼネラル・モーターズ社の1936年製造のキャデラックに使用しました。

この頃から今、世の中に流通しているほとんどのプラスねじは、フィリップススクリューと呼ばれることもあり、その圧倒的な効率の良さを認められ、世界中に広まることになったというわけです。

本田宗一郎とプラスねじの関係

細かい経緯はどうであれ、ねじが進化していく過程は欧州、アメリカの産業の発展と共にあるのがわかりました。

ところでインターネット上でネジの歴史について検索してみると「プラスネジを日本で最初に持ち込んだのはHONDAの創業者、本田宗一郎である」といった記事を多くみかけました。

ところがもう少しよく調べていくと少し事実と違うところもあるようです。
本田宗一郎の功績があまりに偉大なために、話に尾ひれがついているような気がしました。

プラスねじの日本導入の経緯として信頼できそうな資料があったのでここにまとめておきます。

参考資料:大阪産業大学 経営論集 第14巻 第1号

西暦 ねじ業界の動き ホンダの動き
1938年 大沢商会がアメリカのフィリップス・スクリューと特許契約
1950年 現在の(株)トープラが東大阪市に東洋プラススクリュー株式会社として発足。プラスねじの生産を始める。
1952年 11月~12月のアメリカ視察で本田宗一郎がプラスねじを持ち帰る
1953年 フィリップス型プラスねじ国内特許が満了となる。 ドリームD・E型/

F型カブ/ベンリイJ型で初めてプラスねじを採用

1954年 プラス(十字穴付き)ネジのJIS(日本工業規格)が制定される

たしかにまだ日本で特に工業製品でプラスねじが普及していなかった時代から積極的に取り入れたには違いないと思いますが、本田宗一郎にまつわるエピソードとして「ホンダがプラスねじをメーカーに初めてつくらせた」とか「作り方を教えた」とか言う話はさすがに言いすぎのようです。

日本ではこの後、50年代後半から60年にかけての高度経済成長期で家電や自動車、バイクなどの大量生産化が進みます。そこでこの効率的なプラスねじの導入はある意味必然と言えることだったのかも知れません。

プラスねじの欠点

プラスねじがいかに効率的であるかは誰にでも実際に今、どこかでマイナスねじを締めてみるとよくわかりますが、とくに木材に締め付けるとなるとその違いは歴然です。

ここであらためてプラスねじの利点と欠点を考えたとき、欠点なんてあるのか?と思う方もいるかもしれませんが、万能に思えるプラスねじにも欠点はあります。

  1. アンティーク家具のような古めかしいものには雰囲気が合わない、合わせずらいこと
  2. ごみが溜まりやすいところに使用するとごみが詰まって外せなくなる

以上の欠点もあるため、あえてマイナスねじの方が良い場合もある、ということですね。
現在のねじ生産率はざっくりいうと9割がプラス、1割はマイナスがつくられているということですからマイナスねじにも活躍の場が残っているのです。

最後に

我が家であらためてマイナスねじが使われている製品を探してみると・・・、

ありました。

ミシンの針の下部分、ここは汚れが溜まりやすく、構造上普通のドライバーでは上部が邪魔で使えません。
そこで溝の大きさを太めにし、コインでも開け閉めできるようになっています。

たかがねじ、されどねじ。 奥深い世界ですね。

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