すばらしき工芸品!! 民芸家具についてまとめ。

民芸家具という言葉は誰しも聞いた事があるかと思います。

ただ具体的にどういった家具を民芸家具というのか?

その辺は結構曖昧ですよね。

そこで今回は民芸家具についてまとめてみました。

「民芸」という単語

調べてみると「民芸」という単語の元は「民衆的工芸(みんしゅうてきこうげい)」の略であることが分かります。

しかし1925年まで一般的には広まっていた言葉ではないようです。

民芸運動

1926年、民衆生活の中から生まれ、日常的に使われる地域独特の手工芸品から用の美を見いだそうとする運動がはじまりました。

中心人物は思想家であり宗教哲学者であり、美学者でもあった柳宗悦(やなぎむねよし)で、陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎、朝鮮古陶磁研究家の浅川伯教とともに展開した活動によって広く「民芸」という言葉が広まったようです。

民芸の定義は?

では現在においての民芸の定義を考えて見ると、

そもそも「工芸」という言葉自体に
”実用一辺倒ではなく機能性と美術的な美しさを兼ね備えた要素も含まれる”
ものなので、

民芸(民衆的工芸)とは

わかりやすく言えば

”庶民が日常生活の中で必要に応じてつくられた鑑賞に堪えるもの”

と言ったところでしょうか。

しかし柳氏らの民芸運動までは一般的に「民衆的工芸」という言葉が使われることはなかったわけで、そんな概念すらなく、民衆の生活道具はあくまでもただの日用品でした。

柳氏はそんな中、

当時の美術界ではほとんど無視されていた日本各地の日常雑器、日用品など、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動に尽力した。運動の中心であった柳は、当時ほとんど研究が進んでおらず、美術品としての評価も定まっていなかった日本各地の民衆的工芸品の調査・収集のため、日本全国を精力的に旅した。

出典:wikipedia

とありますので、これによりそれまでただ必要に応じてつくられていた生活道具に”用の美”たるものが見直され、「民芸家具」もまた、ひとつの付加価値が加わって、現在でも家具のカテゴリーの1つとして一般的に使われるようになったのでしょう。

一方、民芸運動当時、その運動に対して疑問視する声もあったようです。
柳宗悦個人の美意識によって発掘された民芸品はあくまでも個人の主観によるところですし、「用の美」が感じられる工芸品だけを「民芸品」と定義しようとするなら、それはますます曖昧なものとなってしまいます。

今でも「民芸調」や「民芸風」などと曖昧な表現が使われることも多いのは「民芸」という言葉自体が根本的に曖昧であるからかもしれません。

民芸館

柳氏は全国各地を旅しながら民芸品を調査し、独自の視点で収集していきました。
そうして集まった工芸品は一般に広く公開したいと考え、当初は現在の東京国立博物館である帝室博物館に寄贈しようとしたそうです。

ところが格式高い博物館だからでしょうか、民衆的工芸品の受け入れは博物館側から拒否されたそうです。

それからしばらく時を経て1936年(昭和11年)、結果的に柳氏は実業家の大原孫三郎氏から経済的援助を受け、東京の駒場にあった自邸の隣に「日本民芸館」を開設しました。

こちらは現在でも運営が継続されていて価値ある民芸品の数々を観ることができます。

公益財団法人 日本民芸館

本館基本情報

所在地 〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-33
TEL  03-3467-4527
開館時間 10時~17時(最終入館は16時30分まで)
休館日 毎週月曜日(但し祝日の場合は開館し翌日休館)
年末年始、陳列替え等に伴う臨時休館有り
入館料 大人1,100円(900円)、高大生600円(500円)、小中生200円(150円)
※( )は20名以上の団体
ホームページ http://www.mingeikan.or.jp/

日本民芸館は本館と西館があり、西館の公開は日が限られていますが、1935年から柳宗悦氏が72歳で没するまで生活の拠点としていた建物です。
民芸品に興味のある方にはすごく見応えのある施設です。

民芸家具の二大ブランド

民芸という言葉の発祥についてわかりました。

現在では一般的にも「民芸家具」は家具のカテゴリーとして広く使われています。
そんな中でも元祖柳宗悦らの民芸運動を機につくられるようになった「民芸家具」が松本民芸家具と北海道民芸家具です。

それぞれ歴史があるので以下にまとめてみました。

松本民芸家具

1944年(昭和19年)、池田三四郎が中央構材工業を設立。旧陸軍航空本部用の木製格納庫を製造し、戦後は東京の復興住宅、建具の製造に取り組む。

1948年(昭和23年)、11月に行われた第二回日本民芸協会全国大会に池田も出席したところ、柳宗悦の講演に感銘を受けたことをきっかけに民芸家具の製作に取りかかる。

この際、初代富山民芸館館長、安川慶一を指導者として迎えいれ、先達の柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎や染織家の芹沢けい介などが松本へ訪れ、指導に当たる。

1953年(昭和28年)、この頃よりイギリスの陶芸家、バーナード・リーチが松本を訪れウインザーチェアに代表される英国家具の製作指導をされ、今日の松本ウインザーチェアの基礎を築く。

その後、松本民芸家具はラッシュ編み椅子も製作するようになり、その仕事に対し高く評価されるようになる。

1957年(昭和32年)、松本民芸家具の販売会社として(株)中央民芸を設立。

直営店はこのときから現在まで続き、その後全国各地の百貨店や工芸展でも取り扱われるようになる。

株式会社中央民芸/中央民芸ショールーム
長野県松本市中央3-2-12
TEL: 0263-33-5760 FAX: 0263-33-5764

松本民芸家具HP: http://matsumin.com/index.html

北海道民芸家具

1964年(昭和39年)
柳宗悦の日本民芸館設立に支援したは大原孫三郎。その息子である大原総一郎は父と共に民芸運動の支援者としてその意志を引き継ぐべく森林豊かな北海道で殖産振興と伝統技術を根付かせるため、民芸家具の製作を決意。

若者達を集め、すでに軌道に乗っていた松本民芸家具で修行させるところからはじめる。

1967年(昭和41年)頃 道内の潤沢な樺の樹を主材に、多くの民芸家具を作りだすようになる。

1971年(昭和46年) 芹沢けい介が北海道民芸家具のロゴを手がける。

北海道民芸家具rogo

出典元: https://kitutuki.co.jp/products/hokumin

1974年(昭和49年) 道央の三笠に新工場を建設。企業名はクラレインテリア。

2009年(平成21年) 生産から経営すべてがクラレインテリアから岐阜県にある飛騨産業に託される。

中部山岳地帯の飛騨高山で当社が創業した大正時代、近隣の山々にはブナの天然森が広がっていました。この森林資源をどうすれば町が潤うか。そんな問いが、ヨーロッパ発祥の曲げ木椅子づくりの背中を押しました。折しも創業90周年を迎えた秋、遠く北の大地に周遅れで誕生した伝統ブランドの北海道民芸家具を継承することになりました。この英断は当社とも重なる実直な企業理念に共感したからに他なりません。用の美と呼ぶ生活美学のあくなき探求は、飛騨高山の物づくりと炭鉱と開拓の町・三笠を結ぶに十分な未来像をはらんでいたからです。

出典元:https://kitutuki.co.jp/ 

現在は岐阜県高山市にある飛騨産業の工場でつくられ、全国で販売されている。

飛騨産業株式会社
〒506-8686 岐阜県高山市漆垣内町3180

飛騨産業HP: https://kitutuki.co.jp/

最後に

民芸運動を機に派生した二大メーカー以外にも民芸家具として世に送り出されている家具はほかにもたくさんあります。

例えば割と古くから全国でつくられている桐箪笥。
新潟の加茂や大阪泉州、和歌山の紀州などが有名ですが、これらも民芸家具と言うにふさわしいものだと思います。

全国各地、「民衆的工芸品」をつくるメーカーや個人作家の方々はいらっしゃるので自分なりのお気に入りの民芸品を探してみるのも面白いかも知れませんね。
生涯、大切に使い続けたくなる木製家具。民芸家具もまたそのひとつであり、味わい深い魅力がつまっています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする