マイナスネジはいつからプラスネジに変わったのか?

木製家具関連

ネジ。
この世でもっとも地味なくせに、ないと世界がバラバラになる奇妙な存在である。
人類が「ちょっとそこ締めといて」と頼み続けて数千年、
ネジは今日も黙って働き、黙って逃げ、
そしていつの間にか「どこ行った!?」と探されている。

そんなネジだが、いま工業製品の主役である“プラスネジ(十字)”は、
実は驚くほど新人だ。歴史でいえば、ようやく社会に慣れてきた若手社員くらい。
木工でもDIYでも「ネジがあれば何とかなる」と思いがちだが、
その裏には、妙に面倒くさく、妙に笑えるネジの長い道のりが詰まっている。

では、そんな“ネジ界の進化物語”をやさしく、ちょっと笑いながら覗いていこう。

ネジの発祥

ネジの起源ははっきりしないが、
「回転を直線運動に変える」という構造はとんでもなく古くからあった。

スクリューポンプ――別名アルキメディアン・スクリュー。
あれが紀元前3世紀、アルキメデスの発明とされている。

つまりネジの本質は、
“回すと便利”
という、非常に人類らしい発想から始まっている。

しかし締結用ネジ、つまり「物と物を固定するネジ」が普及したのは、
アルキメデスから1000年以上も時を経た15〜16世紀頃。
誰が発明したのかも曖昧だが、レオナルド・ダ・ヴィンチが使っていた記録があるので、
その頃には腕時計や銃、甲冑などに広く使われ始めていたようだ。

日本ではなかなか作れなかったネジ

1543年、種子島に火縄銃が伝来したとき、ネジもいっしょに来ている。
だが江戸時代の生活道具を見ると、ネジがほぼ存在しない。

理由は単純で、日本には精密なネジを作る機械加工技術がなかった。

日本の建具が「開き戸ではなく引き戸中心」になった理由のひとつも、
蝶番に使うネジをつくれなかったため
という疑いは大いにあり得ると思う。

ある意味、
釘もネジも使わず組み上げる日本の指物技術は、
“ネジが作れない時代の創意工夫の結晶”
だった可能性すらある。

国産ネジが工業生産されるのは明治23年(1890年)。
日本のネジ事情は、意外と最近まで不器用だったのだ。

マイナスネジのデメリット

マイナスねじ
マイナスネジ

プラスネジが誕生するまでは世界中がマイナスネジだった。

マイナスネジの利点は、頭に一文字の溝をつけるだけで簡単につくれること。
しかし締める側は非常に手間がかかり、

  • 部材に直角で押し当て
  • ズレに耐え
  • 手の疲れと闘いながら回す

という、地味に体力を削る作業だった。

今では電動ドライバーが当たり前だが、
昔の作業者たちはひとつひとつ手で締めていた。
アンティーク家具の裏にマイナスネジを見ると、
「ああ、これは締めた人の肩も指も相当やられただろうな」
としみじみ思う。

プラスネジの誕生

作業者のストレスが限界を迎えつつあった1907年、
カナダのピーター・L・ロバートソンが四角い穴のスクエアネジを発明した。

滑りにくく片手でも締めやすかったが、
第一次大戦やロシア革命の影響もあり、会社は消滅。
スクエアネジは“幻のスター”となって市場から消えていく。

そして1935年頃、アメリカ・ポートランドの実業家ヘンリー・F・フィリップスが
十字溝ネジの特許を譲り受け、改良。
これが フィリップススクリュー(プラスネジ) である。

電動ドライバーとの相性のよさ、量産性の高さから、
1936年のキャデラックに採用され、一気に世界へ広まった。

本田宗一郎とプラスネジの関係

ここまで細かい経緯はどうであれ、ネジが進化していく過程は欧州、アメリカの産業の発展と共にあるのがわかった。

ところでネット上では「本田宗一郎が日本にプラスネジを持ち込んだ」という説を見かけることがあるが、実際には少し違う。

ネジ界とホンダの動き(要点)

西暦ねじ業界の動きホンダの動き
1938年大沢商会がアメリカのフィリップス・スクリューと特許契約 
1950年現在の(株)トープラが東大阪市に東洋プラススクリュー株式会社として発足。プラスネジの生産を始める。 
1952年 11月~12月のアメリカ視察で本田宗一郎がプラスネジを持ち帰る
1953年フィリップス型プラスネジ国内特許が満了となる。ドリームD・E型/

 

F型カブ/ベンリイJ型で初めてプラスネジを採用

1954年プラス(十字穴付き)ネジのJIS(日本工業規格)が制定される 

参考資料:大阪産業大学 経営論集 第14巻 第1号

つまり、
本田宗一郎は 「普及を強力に後押しした第一人者」 ではあるが、
「日本へ持ち込んだ本人」ではない。

しかし彼の行動力が日本の工業界に与えたインパクトは計り知れない。

プラスネジの欠点

ププラスネジは万能に見えるが、欠点もある。

  • 古い家具など、アンティークの雰囲気には合わない
  • ゴミやホコリが溜まる場所では詰まって外せなくなる
  • コインで回す用途には向かない

このため、現在でもネジ生産の1割はマイナスネジが占めている。
完全に消えることはないのだ。

我が家でも、ミシンの針の下に太めのマイナスネジが使われていた。
上部が邪魔でドライバーが入らないため、
コインで回せるようにしてあるという、合理的な理由があった。

最後に

ネジというのは、ほんとうに妙な存在である。
地味で、しゃべらず、偉ぶりもせず、
気づけば棚も椅子も車もスマホも、ぜんぶこいつに頼っている。

にもかかわらず、人間はネジをよく落とす。
落として見失い、見失って怒り、怒ったくせにまたネジを買い、
買ったあとで「前のどこ行った!?」と床をはいつくばって探す。
この繰り返しである。
文明とは思いのほかドタバタしている。

でも、そんな人間のドタバタをよそに、
ネジはただそこにいて、働き、ゆるみ、逃げ、
またどこかで拾われ、締められ、そしてまた逃げる。

もはやこの世界は、
「ネジと人間の、ちょっとした追いかけっこ」で成り立っている
とも言える。

たかがネジ。されどネジ。
小さな金属片のくせに、文明の屋台骨をずっと支えてきた。
そして明日もまた、どこかで静かにゆるみ、あるいはさび付いて固まり、
あなたを「おいおいまじかよ!」と叫ばせるだろう。

それこそがネジの真髄。
人を支え、人を困らせ、世界をつないで、
今日もどこかでコロッと旅に出る。

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